「“ノーベル賞”について思う・・・」

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「“ノーベル賞”について思う・・・」
2022/01/14

 

去る10月6日に今年度のノーベル物理学賞が発表され、真鍋叔郎氏という現在アメリカで在住されておられる日本人の受賞者が誕生いたしました。

1949年に湯川秀樹氏が受賞して以来数多くの日本人が受賞しています。特に2000年以降は毎年のように受賞しており、私には関係ないとはいえ、日本人として正直うれしいところがあります。

しかし一方で、気になる話もあります。

それは、質の高い論文ランキングで、かつては常に上位の位置にいたわが国ですが、だんだんとその順位が下がり、昨年度はこれまでで最低の10位だったそうです。

また、様々な角度から調査した世界の大学のランク付けもわが国は下がり続けているそうです。

一方で中国は論文数にしても大学のランキングにしてもどんどん順位を上げているそうです。上記の質の高い論文ランキングに至っては、今年度中国はアメリカを抜いて1位になったそうです。

このままではノーベル賞の受賞者数も中国に負けてしまうのは遠くないようにも思えます。

 

けれども私は必ずしもそうはならないと思っています。

今回受賞されました真鍋叔郎氏のコメントの中に、受賞の主な要因を尋ねられた時に“好奇心”と答えられたそうです。

つまり、好奇心に任せて自らの自由で独創的な発想を追求した結果今回の受賞につながったようです。

研究で最も大切なことは「自由な発想」とそれをサポートする環境ではないでしょうか?

もちろん環境整備にはそれなりの資金力が必要なことも1つの大きな要因ではあります。けれどももっと重要なことは自由で民主的な社会でなければノーベル賞のような偉大な研究は生まれない、ということではないかと思うのです。

 

詳しいことはよく知りませんが、現在の中国の周辺で起こっているウイグルや香港、台湾のニュースから察するところによれば、まだまだ中国は研究者にとっては必ずしもいい環境が整っているとは言えないように思います。

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