規制緩和の対象としてテーブルに乗った「医薬分業」をめぐる論議について思う・・・

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規制緩和の対象としてテーブルに乗った「医薬分業」をめぐる論議について思う・・・
2015/04/06

何度か私のブログの中で触れたことがありますが、もう一度簡単に「医薬分業」(以下分業)のこれまでの経緯を述べます。

「分業元年」といわれた昭和49年以降、色めきだっている薬剤師会をしり目に、実際にはなかなか進展していかない状況が20年以上続き、あきらめムードが支配的になりつつありました。そんな中で、“第二薬局”の規制をクリアし、かつ経済効率を優先させた門前薬局・マンツーマンタイプの薬局が台頭してきました。このタイプの薬局は、昭和49年の分業元年当時、声高に分業を先導してきた人とはそのコンセプトも目標も明らかに異なる人々の勢力でありました。当初は、私も含めて多くの薬局薬剤師は現状の閉塞感からの打破としてこのタイプの薬局の価値を一部認めてはいたものの、いずれこのような薬を渡すだけの薬局は、その独自性が求められるようになると、淘汰される流れになるものと楽観的に考えていました。例えて言うと、当時生まれて一世を風靡したコンテナを改装しただけの簡単なカラオケボックスは、少しずつきちんと整備された個性のあるカラオケボックスに進化していきましたが、薬局もそのような流れで、少しずつ個性のある地域に根差した形に進化していくものだと私は考えていました。けれどもそんな流れはなかなか生まれず、結局は現在まで、無味乾燥なマンツーマンタイプの薬局が主流を占めてしまっているのは自明のとおりです。私の中では、これは薬局とは考えていません。もしもこれが薬局であるというのであれば、私は分業のメリットなど全くないものと思っています。

そんな中で私がずいぶんと違和感を覚えたのが、一般社会の反応です。マンツーマンタイプの薬局が台頭し、そのおかげで社会全体が分業の流れに動き始めた当時(だいたい昭和から平成に変わる前後でしょうか・・・)、朝日新聞をはじめマスメディアはこぞって分業というシステム自体を歓迎基調で受け止めていたのが功を奏したのか、一般の人は分業をバッシングする雰囲気はあまりありませんでした。「2度手間になる」とか「支払額が高くなる」という弊害はすぐにも実感することから、利用者の一部にそんな不満は聞こえては来るものの、分業自体を否定する声はあまり聞かれませんでした。私が理解できなかったのは、おそらくこのシステムに対するメリットを感じていないであろう場合でも結局は大きな声を挙げずに受け入れている・・・ということでした。当時面分業にこだわっている中で、少しでも処方箋調剤を獲得しようと、多科受診の患者さんの一包化であるとか、粉砕調剤とか、一生懸命患者さんや医療機関にPRしていた私にとって、ある種肩すかしのような虚無感を覚えたものでした。

しかし、今になって分業に対して批判的な発想が出てきて、改めてそのシステムについて考えましょう!という動きが生まれて、今回の新聞記事です。

「患者目線」ということで意見を述べている識者は、おそらくはそんな経緯を把握されておられないのでしょう。“現在の分業システム”をまず肯定的に認めた上で、「・・・薬局の医療機関からの独立性は、経済的独立性か物理的独立性か・・・」というような点に焦点を当てて述べています。どうしてそんな論議が今、テーブルに乗せられるのでしょうか?例えば氏の話の中に、「・・・同じ薬を受け取るにしても『院内処方』よりも病院付近の『院外処方』された薬の方が、患者が支払う額が高額になっていることは知られていない。」という話が出てきますが、このような論議は、すでに各施設で分業に切り替えられてきた20年ほど前から盛んに行われ、今では周知のことであるはずです。今、もう一度蒸し返して「・・・知られていない」と言われても・・・。むしろ私には、氏が今の分業を認めていること自体、どの程度この問題を真剣に考えてるのか疑いたくなってきます。と同時に、仮にも「患者目線」として意見を述べている識者がこのような形を以って“分業”と認識していることに落胆を覚えます。

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