身近な知人の“死”に遭遇して・・

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身近な知人の“死”に遭遇して・・
2013/04/09

本日(4月9日)、近所の和菓子屋さんのご主人が亡くなりました。数年前から岸和田の市民病院にかかっており、当方にずっと処方箋を持ってきてくれて

いましたから、逐一病状は把握していました。奥さんの話ですと、医師からは「昨年暮れまでもてば・・・」というようなことを言われていたようですから、

家族の方にすれば覚悟はできていたと思います。当方も、今年になってもう10名ではきかないほどのほどの患者さんがなくなっていますから珍しくはないこと

なのですが、私の幼い時から知っている方ですので何か特別な思いがこみあげてきます。たまたま本日、以前からうかがっていた本人が使う口内炎のスプレーを

入手したのでお届けに言った時に、店番にいた親せきの方に伺いました。ちょうど私がうかがう数時間前に亡くなったそうです。

 

実はこの方、私よりも2つ年上で、姉と小学校の同級生です。当時から“番長”的な存在で、常に目立っていました。“番長”といってもいじめられた記憶はなく、

弱きを助けてくれる“イイ人”というイメージでした。一緒に遊んだ記憶はないのですが、1つこの人にまつわるエピソードが思い起こされます。

(結果的には全くこの人は関係しなかったのですが・・・。)

 

中学生の時です。同級生数人と大阪市内にある塾の夏の講習会に行っていたときに、岸和田の田舎では見かけないようなリーゼントヘアの、

見るからに不良グループ数名にカツアゲをされました。その時、大変悔しい思いと怖い思いをした恐怖感で憔悴しながらトボトボ帰っていた時に、

その中の1人が「そういえばツトサン(今回の故人)、この学校やで!」といって、みんなで講習会の会場となっていた高校の校舎の中を探し回ったことがありました。

その時は残念ながらツトサンは見つけられませんでした。もしも見つかったとしても、リーゼントヘアの“不良さん”もいなくなっていたし、一言二言慰めの

言葉をもらうことぐらいしかできなかったのでしょうが・・・。しかし考えてみれば、みんなの気持ちは、そんな不安な気持ちになっているときに、

ツトサンからの一言二言の慰めの言葉こそ欲しかったのでしょう。

 

40年たった今でもツトサンは我々の“頼れる親分”でありました!

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