ダイドー薬品株式会社
山本保健薬局

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日本薬剤師会
薬剤師会という組織は、「全国約230,000人(平成14年12月31日現在)の厚生省届出薬剤師の約4割,97,000人の会員数を擁している。会員は,いろいろな職種に従事する薬剤師から成っている(構成割合:薬局薬剤師70%,一般販売業に従事する薬剤師8.9%,病院・診療所薬剤師8.5%,行政薬剤師2.3%,製薬企業薬剤師1.4%,その他8.8%)・・・」というのが日本薬剤師会ホームページでの説明である。
しかし、そのパーセンテージに表れているように、この組織は明らかに薬局薬剤師のための組織である。別のページでも述べたが、私も理想的には様々な職種に就く薬剤師を包括する「オール薬剤師会」というものがこの組織の姿であって欲しいと願うのであるが、現実的にはそのようにはなっていない。
その理由は、様々な意味で薬局薬剤師以外のものにとってはこの組織にはそれだけの魅力がないからであるということであろう。
しかし何らかの問題はあったとしても、少なくとも薬局薬剤師の多くはこの組織に入会し、現実的に一定の成果をあげている。それならばそれで「薬局薬剤師のための組織」として割り切って、十分にその役割を果たしていただきたいと思うのであるが、そういう視点からも物足りなさを感じる。
「薬剤師会」の組織としての問題点
この組織を、現実的に「薬局薬剤師の組織」と一応規定した上で話を進めることとする。
明治26年にこの会が発足し、その後の会長にはほとんどの場合、まず薬局現場を経験したことがないであろう大学教授が就いてきた。しかも多くの場合、自らの教え子すらほとんどが薬局薬剤師にはなっていないであろう、東京大学の教授が就任してきたのである。そのような人物を推す方も推す方だと思うが、自分自身全く知らない世界の会長になろうという推される側の心理が私には理解できない。おそらくこの構図には、「東京大学教授」というネームバリューによって会の権威を高めたいと考える推す側と、“全国で10万名近い会員を抱える組織の会長職”、という政治的なスケベ心に駆られた推される側の両者のサモシイ一致した利害関係によって延々と続いてきたのであろう。しかし平成6年、薬局薬剤師出身の吉矢佑氏が会長になって、それ以降現在までは薬局薬剤師の会長が継続している。ようやくこの不自然な構図が崩れてきたといえる。私が思うにこの傾向はしばらく続くであろう。今後もしも大学教授が会長職に就くことがあったとしても、これまでのように薬局の世界を全く知らないままで、いけしゃあしゃあと会長に就こうという無神経な人物は出ないものと信じたい。

会長選出のことだけを考えれば、組織としてよい方向に動いているのかもしれないが、組織の体質というのはそんなに大きく改善されるものではない。こと執行部人事についてみても、今年度(平成18年度)の副会長選挙において様々な茶番劇が我々末端会員にまで伝わってきている。私が考えるこの組織の最も大きな問題は①臨床経験の脆弱さに基づく学術的側面が希薄なこと。②旧態依然とした権威主義的な思想が根底にあること。の2点あると考えるのであるが、その点について少し考察してみたい。
①臨床経験の脆弱さに基づく学術的側面が希薄
 私が薬局薬剤師になった当初、即ち昭和60年ころ、私は頻繁に各地の薬局を訪問した。主な目的は薬局の経営スタイルやその先生の考えを聞かせていただくためである。何度も話題にするが、当時は調剤主導の薬局などというのはほとんど見られず、一般OTCや雑貨類の販売を中心に薬局経営が成り立っているところが大半であった。私が訪問したところはいずれも小規模な薬局であった。他方で、「目標!○○店!」などと派手なテレビコマーシャルを利用して売り上げを伸ばしている薬局チェーンもあったが、これらの多くは価格競争を武器として、売れるものは何でも扱い、およそ医療機関とは縁の薄い、量販店というイメージが強いものであった。経営者としては成功を収めているのではあるが、少なくとも私がお会いした人たちに言わせればこのような薬局を良く言う人はいなかった。彼らの量販チェーン薬局批判の裏側にある思いは、当時、ほとんど院外処方箋が世の中に出回っていない社会情勢の中で、あくまでも医療従事者としての「薬剤師」のプライドであろう。そこに彼らの「医薬分業」にかける熱い情熱を感じる。分業率が50%を超えた現在、彼らのような熱い情熱とプライドを持って調剤業務に取り組んでいる薬剤師が果たしてどれほどいるであろうか?今だからこそ彼らのポリシーを啓蒙していく必要性を感じる。私自身、自らの薬局運営をするにあたって、大いに影響を受けていることは間違いない。
 しかし、残念ながらそのことと「薬剤師」としての能力とは別の問題である。彼らが、どれほど高い理想と情熱を持っていたとしても、厳しい現実には背を向けるわけには行かず、生活の糧としての薬局運営に追われて、おそらくは研修会だの学生研修だのと言っていられる状況ではなかったであろう。ましてや、医療現場の状況や医療スタッフとの連携などというレベルの論議ができるはずもない。そんな現実があるからこそ、薬剤師としての実力に目を向けることなく、会長職に肩書きばっかりの人物を据えてしまおう、という発想が生まれるのかもしれないが・・・・・。即ち、当時の薬局薬剤師のプロとしての臨床能力はほとんどゼロに近かったといっても過言ではないだろう。今現在、薬学部6年生の開始などいくつかの環境変化に伴って、薬局薬剤師も少しづつ「医療」を知る機会が増え、それに伴って薬局業務自体もわずかながら学術的側面が見えるようになってきているようであるが、正直なところ、社会的に合理性のある活動には至っていない。
 近年(平成10年あたり以降)、そんな状況の中にあって、大手調剤薬局(大型門前薬局、もしくは多店舗調剤薬局チェーン)を中心に様々な薬局実務の再考を模索する動きが活発になってきた。患者とのコミュニケーション技術に着目した薬のジェネラリストとしてのスタンスの確立である。十分なものではないまでも、そのような動きについては、一定の評価はできるだろう。しかし私は、この動きには根本的なものが欠けているように思っている。それは、「地域医療」のなかでの「かかりつけ薬局」という位置づけである。例えば、「耳鼻科の近くの薬局において、患者へのインタビューによって、他院で循環器用剤の投薬を受けていることがわかった、さてどうする・・・」というような想定のもとで解説しているマニュアル本がある。しかしこのような背景は、「かかりつけ薬局」を基盤とする面分業が定着した状況下においてはあり得ない。少なくとも「かかりつけ薬局」においては、医療機関が院外処方か院内投薬か、という問題に関わらず耳鼻科受診時には循環器用薬の服用は十分に把握しているべきなのだ。また近年、保険点数が認められたこともあってにわかにクローズアップされてきた「お薬手帳」なるものも、「かかりつけ薬局」では、利用する薬局も1患者1つが基本であることから、敢えて利用する必要性は低い。そのように、根本的に「かかりつけ薬局」を想定した上で書かれたマニュアル本は残念ながら現時点では存在していない。その理由は、分業の最近の流れに乗って経済力をつけてきた、大手調剤薬局が中心となって、自らの薬剤師スタッフの指導用マニュアル本から発生してきたものが多いからである。先に述べたように、分業が進んでいなかったころに比べると、薬剤師が少しでも医療人たる存在感を示し得ているという意味で一定の評価はできると思うが、このような活動では、「地域医療」という社会システムの中で合理性を考えた場合には、薬局薬剤師独自の職能とは考えにくく、数十年というスパンで客観的に眺めた場合に、今の形での薬局・あるいは薬局薬剤師というものはいずれ淘汰されてしまうであろうと思われる。その地域における、「医療」、「介護」、「福祉」等をあらゆる角度から包括した活動の一端を担う責務が薬局にはある、と私は考えているが、残念ながら構造的に、大手調剤薬局にはそこまでできる体質はない
 つまり結局は、
薬局薬剤師が自らの専門分野においては他の医療スタッフには追随を許さない、本当の意味での、より実践的な臨床知識を培う土壌も経験も育っていない
ということであろう。
②権威主義思想
上記したように、会長選出に見られる、権威主義に偏った歪なメンタリティは、薬剤師会役員諸氏が、自らの『薬局薬剤師』という職業に対するプライドを放棄してしまっている顕著な証拠である、と残念ながら私はみている。どうして、自らが懸命に取り組んでいる薬剤師という高度な専門職能にプライドを持とうとしないのか?客観的に見れば、非常に不思議に思えるところである。しかし、これもこれまでの永い薬局薬剤師の経緯を振り返ってみれば、共感は覚えないまでも理解できないこともない。
昭和30年代後半、分業が遅々として進まない中、医療従事者とは名ばかりで、日々シャンプーやティシュペーパーの価格競争に振り回され、卸との駆け引きに多くの時間が割かれる・・・。しかし、多くの薬局薬剤師はこのような世界を自らの本来の職業とは考えてはいない。本来はもっと高度な職業意識を持ちながら臥薪嘗胆の思いで日々の業務を営んでいたに違いない。つまり、薬剤師会という組織全体の根底に流れている権威主義思想の原点は、理想と現実とのギャップが大きいがゆえに現実を軽視あるいは侮蔑してしまうという発想に陥ってしまった結果とみれば、このような歪なメンタリティーも理解できる。発想の貧弱さは感じるものの、一見した限りでは問題にするほどの害はないように思われる。しかしながら、このような権威主義思想が「分業の進展」さらには「薬剤師の社会貢献」に大きな悪影響をもたらしているのである
 「権威主義思想」に陥った組織の問題点が最も顕著に現れているのが、「面分業に対する思い」である。別のページでも示したように、現実には「絵に書いた餅」となりつつある「面分業」であるが、その分業形態が“最もいい形”であることは、誰もが論を挟まない。ただ、その“いい形”というのは、決して”正義”とか、“王道”とかいうものではない。ただ単に、患者本位の医療を追求していく上で、最も合理的なシステムであるという理由に尽きる。従って、今社会は「面分業」を選択しようとしないのは、「面分業」の正当性を薬剤師がPRできていないのではなく、その合理性を社会に認識させ得ていないまでである。「権威主義思想」に陥った人たちには、どうもそのことが理解していただけないことがある。皆が”いい”と認める「面分業」をどうも「錦の御旗」と認識しているようで、「面分業」だから正しいんだ”、という社会を侮った発想を持っている人が多い。特に、薬剤師会役員など体制派に近い人ほどそのような発想を崩そうとしない。
 もう少し具体的な話をしよう。これは、広域病院の分業においてはあまり珍しいことではないそうであるが、生の声として私が聞き及んだものとして示す。ある私立の広域病院が分業に踏み切る方針が出された。かなり初期の段階において、地元にその情報が入り協議していたところ、大手調剤チェーンがその情報を聞きつけ、大規模な門前薬局の開設に乗り出してきた。「面分業」を主張する地元薬剤師会は、当然ながら猛反対をして、その門前薬局の締め出しに動いた。病院側はどちらに加担するでもなく、要は「患者が分業による不利益・不安をなるべく被らない方法を模索していただければ・・・。」というような態度である。至極当たり前の要求だ。その後、様々な角度から地元薬剤師会と大手門前薬局チェーンとの対立があったが、結果はすぐに表れた。地元薬剤師会の完膚なきまでの完敗である。個々の薬局薬剤師の臨床能力、薬局としての薬品調達能力などいずれの分野においても地元薬剤師会はそのチェーン薬局には全く歯が立たない状態であったそうである。結局当然ながらその病院の前には大規模門前薬局ができ、地元薬剤師会もその現実を受け入れざるを得ない状況だ。彼らにとっては、まるでオリンピックの柔道競技の団体戦でロシアや韓国に7対0で負けたほど悔しい心境であったかもしれない。しかしこれが現実である。「面分業」はそれ自体決して正義でも患者の味方でもない。あくまでも「うまく機能すれば最も患者に利益を提供できる」という合理性に優れたシステムに過ぎない。要はその合理性を如何に上手に使いこなせるか?という個々の薬局の手腕にかかっている。